ラガーマンたちの夏の聖地・菅平高原(長野・上田市)には、全国から多くの学生ラグビーチームが合宿に訪れる。しかし、近年の猛暑も加わりスポーツ活動中の事故は後を絶たない。
市街部から離れた現地で学生アスリートを守るために進められている取り組みを取材した。

(取材・文/フジテレビアナウンサー 松﨑涼佳)

菅平高原には105面のグラウンドがある(長野・上田市)
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アスリートの命を守ろうと進められているのは「Sugadaira AED For Everyone」の頭文字から「SAFE」と名付けられたプロジェクトだ。2022年、菅平にある105面のグラウンドすべてにAEDを設置することから始まった。そして2024年夏には民間救急車を本格導入した。

2021年の夏に起きた試合中の心停止 

プロジェクト発足のきっかけは、2021年8月にさかのぼる。練習試合中の大学生が心停止を起こしたのだ。偶然にもその試合の審判は心臓外科医で、隣のグラウンドには一次救命処置を心得たチームスタッフもいた。ほどなくして近くの管理棟からAED(自動体外式除細動器)が届き、ドクターヘリの要請から病院への搬送までが滞りなく行われたことで選手は一命を取り留めることができた。 

しかし、これは偶然が重なった幸運な例に過ぎないかもしれない。「SAFE」の中心メンバーの一人である早稲田大学スポーツ科学学術院の細川由梨准教授らの研究によると、2005年~2016年に学校スポーツ活動中に起きた突然死で、現場に訓練された医療従事者がいたケースは2%に過ぎなかった。市街部から離れた菅平高原では救急車の到着に30分かかることがあり、AEDの到着も遅れていれば最悪の事態も考えられた。 

救命率は1分で10%低下する

突然の心停止から命を救うAEDは近年、誰でも簡単に使用できる機器として認知も高まっている。ただし、その救命率はAEDによる電気ショックが1分遅れるごとに約10%ずつ下がるとされている。2021年の事故では管理棟からすぐにAEDが届いたが、他のグラウンドでも心停止が発生したら近くにいる人が直ちにAEDにアクセスできる環境が求められる。 

救命率は1分で10%低下する

しかし、菅平のグラウンドのほとんどは地元の旅館が管理し、当時はAEDが設置されている旅館とグラウンドが離れている場合も少なくなかったという。中には旅館から車で片道10分以上かかる場所もあったそうだ。

105面すべてのグラウンドにAEDを

そこで発足したのが帝京大学・桐蔭横浜大学・早稲田大学・国士舘大学等の教員や医師で運営する「SAFEプロジェクト」だ。日本ラグビーフットボール協会安全対策委員会の支援のもと、地元の旅館の協力を得て、事故の翌年である2022年夏には全てのグラウンドにAEDが配備された。

 悪天候でも運べるよう防水加工されたリュック型カバーに入ったAEDは、確実にグラウンドへ持ち込むため、各旅館で工夫されている。複数のグラウンドを持つある旅館では、出入り口付近の目立つ場所にグラウンド番号が大きく印字された紙が貼ってあり、その番号の上にAEDが置かれていた。こうすることで、チームの担当者がAEDを忘れた場合でも、代わりに旅館スタッフが届けることができる。 

旅館に配備されたAED

全グラウンドへのAED導入について、グラウンドを所有する44軒の旅館で構成されるグラウンド部会の髙森実穂さんは「とにかくありがたい」と話す。以前は各旅館でAEDを所持していたものの、費用などの面からグラウンドと同じ数のAEDを用意するのは難しかったという。髙森さんの旅館では、これまで常設と夏季レンタルで計2台を所有。そのうち1台は宿の隣のグラウンドに、もう1台は宿から離れた場所にある3面のグラウンドで共用していた。しかし「SAFEプロジェクト」により、グラウンド数と同じ4台のAEDが配備されるようになった。 

AEDの使い方を習得する講習会

また、グラウンド部会の山口輝彦部会長は「これはみんなでやらなければ意味がないと気づけた。意識も変わった」と話す。AEDは傷病者に繋ぐことさえできれば、実際に電気ショックを与える必要があるかどうか機器が自動で判断するため、初めて使う人でも簡単に扱える。AED導入時に講習会が行われ、こうした知識を得たことも緊急時の不安を軽減させたようだ。 

「救命の連鎖」のために民間救急車を本格導入へ 

そして2023年の夏、「SAFE」の活動は次のステップへと進んだ。試験的に民間救急車が配備されたのだ。地域の消防と連携し、救急車の逼迫を防ぐことを目的としたこの取り組みで、民間救急車が出動したのは4日間で17件。合宿で賑わう夏のこの地域特有の救急車の需要や有用性が示された。 

出動する民間救急車

これを受けて2024年は民間救急車の滞在日数を、合宿を行うチームが特に多いお盆の期間を中心に15日間に拡大。帝京大学と国士舘大学の協力のもと民間救急車が本格的に導入されることとなった。 

クリニックで待機する民間救急車

「SAFE」の民間救急車の特徴は、スポーツ現場に精通した救急救命士に加えて医師も乗る、いわゆるドクターカーである点だ。医師が現場に急行することで、その場でできる判断や処置の幅も広がる。また、消防の救急車もこの期間は菅平に待機することになった。さらに救急救命士が乗った搬送車も待機し、同時多発する傷病者に対応できる体制が整えられた。 

「菅平で身につけたことを普段も実践」目指す

救命の連鎖を繋ぐ「SAFE」が、次に目指すのは「菅平で身につけたことを普段の活動場所に帰っても実践すること」と「命を守る意識を全国へ広めること」と、中心メンバーである桐蔭横浜大学スポーツ科学部の大伴茉奈さんは言う。 

早稲田大学スポーツ科学学術院の細川准教授(左)と桐蔭横浜大学スポーツ科学部の大伴茉奈専任講師(右)

AEDを配布するための救命講習会は、対象者を広げ毎年続けられている。この夏も複数のチームからマネージャーやコーチ、選手も参加し、一次救命処置の訓練を行った。実は、一次救命処置のガイドラインは5年ごとに改定されていて、次回は2025年の予定だ。この記事を読んでいる皆さんの中には「昔やったことある」と思う人がいるかもしれないが、身近な人を守るためにも定期的に最新の知識にアップデートすることをお勧めしたい。 

合宿地・菅平のスポーツと安全への思い

菅平グラウンド部会の方々に話を聞いた際、ラグビーとラグビー選手達への愛情はもちろん、命を守ることの大切さを非常に身近に感じていることが印象的だった。また、長年この地で看護師として働き、「SAFE」にも参加している宮原青美さんも「悲しい事故を何度も見てきた」と語っていた。
実際、前述の日本の学校スポーツにおける突然死についての調査によると、スポーツ活動中に発生する死亡事故の原因で最も多いのは急性心停止、次いで頭部外傷、労作性熱射病と続く。そしてラグビーは競技者数に対する事故件数の割合が最も多いとされている。 

SAFEプロジェクトのメンバーと松﨑アナ(左から2人目)

スポーツは楽しいものだが、事故のリスクも無視できないことをこの地域の方々は肌で感じているようだった。プロスポーツとは違い、学生スポーツはチームの規模によって人的・物資的リソースに差が出やすいが、その皺寄せが安全面に及んでしまうのは危険だ。どんなチームでも安心して合宿を行える菅平、その裏側には地元の協力とスポーツの安全を支えるプロジェクトの思いがあった。 

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