鹿児島・薩摩川内市に伝わる「川内大綱引」が2024年春、国の重要無形民俗文化財に指定された。関ケ原の戦いで兵士の士気を高めるために始まったといわれる勇壮な伝統行事。2024年は雨に見舞われたが、朝早くから夜遅くまで、熱く、長い一日となった。

荒縄を“人力”で1本の大綱に仕上げる

川内大綱引は「綱練り」と呼ばれる大綱作りから始まる。地元産の稲わらを使用した365本の荒縄から作られるのだ。

雨の中の体力仕事
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2024年9月22日。朝6時過ぎから綱練りが始まった。3本にまとめられた荒縄を、人の力で1本の大綱に仕上げていく。まさに体力勝負だ。

「おいしょ、おいしょ」と声を出しながら行われる綱練りには、保存会や地元の高校生ら、1000人以上が参加した。

参加した人は「みんなで協力して良い綱を引きたい」「去年は綱が切れて、悔しい思いがある。切れない綱を作りたい」と、熱く語った。

大綱をかつぎ市内を歩く姿にも圧倒

約4時間かけて完成した大綱は、長さ365m、直径40cm、重さ実に7トンで、「日本一の大綱」と言われる。巨大な大綱は、綱練りに参加した多くの市民が担いで会場の国道3号に持って行く。これが「綱出し」だ。ずっしりと肩に食い込む大綱の重さに時折顔をゆがめながら懸命に綱を運んだ。

実は2024年は、いわゆる「平成の大合併」で、現在の薩摩川内市が誕生して20年となる。そこで綱出しを“綱を運ぶ最大のパレード”として、ギネス世界記録にしようという計画があった。

しかしこの日は大雨。ただでさえ重い大綱は水を含んで更に重くなり、安全確保の観点からギネス挑戦は次の年に持ち越された。

市民が担ぎ会場に運ぶ。これが「綱出し」だ

運ばれた大綱は、「ダン木」という中心部に打ち込まれた杭に乗せられ、夜の決戦の時を待つ。

それまでの時間、大綱には子供を座らせ写真を撮る親子連れの姿があった。大綱に子供を乗せると元気にたくましく育つと言われている。

子どもを抱きかかえて綱に座ったお父さんは、「また1年間、元気で過ごしてもらえたら、またがったかいがある」と微笑んだ。

約3000人の男たちが大綱を引き合う

そして午後8時過ぎ、いよいよ決戦の時を迎えた。

赤の「上方」、白の「下方」がそれぞれ中心のダン木に

島津義弘公が関ケ原の戦いで兵士の士気を高めるために始めたとされる川内大綱引。地域の青年団や職場ごとに、ダン木を中心に、地元を流れる川内川方向を下として「上方」と「下方」に分かれた約3000人の男たちが大綱を引き合う。この勇猛さが最大の特徴だ。

「奮起しているので楽しみ。真剣勝負でぶつかっていきたい」「一丸となり絶対に勝ちます」上方、下方どちらも、メラメラと闘志を燃やしていた。

そしていよいよ勝負開始!緊迫感と熱気が一気に高まる。

川内大綱引には、引き手の動きを阻止しようとする「押し隊」と呼ばれる人たちがいる。綱の中心付近で激しく体をぶつけ合い、激闘を繰り広げる。大きな渦が上方、下方を問わず、男たちを巻き込んでいくかのようだ。

2024年の戦いは序盤から綱の中心を陣営に引き込んだ下方が闘いを優位に進めるものの、一進一退の長時間の攻防が続く。太鼓をたたきながら「キバレ(がんばれ)」と仲間を鼓舞する声が響きわたった。

そして、決戦開始から約1時間半が過ぎた午後9時45分。勝負は終始、綱の中心を自陣へ引き寄せた、下方に軍配が上がった。

万歳し、仲間と抱き合って喜ぶ男たち。下方の勝利は実に12年ぶりで、陣営からは「気持ちいいです、来年はもっと若い子を集めて下方を盛り上げたい」などと歓喜の声が続いた。

節目の年の大綱引 無事に終え達成感

激闘の末、幕を閉じた川内大綱引。使われた大綱は家内安全や無病息災、商売繁盛のお守りとして家に持ち帰って飾る風習がある。見物客の女性は「今年はすごく幸せな年になりそうです」とうれしそうに持ち帰っていた。

「朝から相当な雨が降ったが、無事終えて本当に安堵(あんど)している」と語る川内大綱引保存会の橋口知章会長。その表情からは、薩摩川内市が誕生20年を迎え、国の重要無形民俗文化財に指定された節目の年の大綱引を、無事に終えた達成感がにじみ出ていた。

400年にわたり引き継がれてきた勇壮な祭りは、地元・薩摩川内の人々の熱い思いと共にこれからも続いていく。2025年のギネス記録への挑戦も今から楽しみだ。

(鹿児島テレビ)

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