稲垣えみ子さん(左)と在宅医の中村医師との対談の後編。「親との向き合い方」2人はどう考える?(写真:今井康一撮影)これまで1000人以上の患者を看取り、「最期は家で迎えたい」という患者の希望を在宅医として叶えてきた中村明澄医師(向日葵クリニック院長)。著書『在宅医が伝えたい「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』では、死を目の前にした患者が幸せな最期を過ごすためのヒントを伝える。中村医師が理想的な生き方の手本とするのは、『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』を上梓した稲垣えみ子さん。50歳で大手新聞社を退職後、洗濯機や冷蔵庫などを手放し、モノを持たないシンプルな生活に幸せを見いだしている。2人の共通点は、母親が認知症になり、すでに亡くなっていること。親との向き合い方、後悔したことなどを語り合った(対談は前後編あります。こちらは後編です)。前編はこちら:40歳過ぎたら下り坂「残りの人生をどう生きるか」この記事の画像を見る(4枚)

天井を見ていても幸せを見つけられる

(前半から続く)

中村明澄医師(以下、中村):病気になり、体が不自由になったり、老いが進んだりすること、死期が近づいてくる現実など、患者さんやご家族にとって、これまでの生活が一変するような状況を受け入れるのは、本当につらそうです。

そのときに、「こんな風に考えたらどうでしょうか?」という“チップス”をお示しできたらいいのですが、なかなか思い浮かびません。稲垣さんが以前出演された番組でおっしゃっていた「部屋の天井を見ていても幸せを見つけられる」と思える境地を自分も体感できたら、それを患者さんに伝えられるんじゃないかと思っていて……。

稲垣えみ子(以下、稲垣):それはちょっと難しい問題かもしれないですね。私の父は現在87歳で、ひとり暮らしをしていますけど、私が体感しているシンプルな暮らしから得られる幸せというのは、父はまったく関心がない(笑)。でも、それは当たり前なんですよね。

うちの親の世代は戦後の何もない時代に頑張ってモノを獲得していった世代だから、捨てることはすごく苦手なんですよ。誰でもその人にはその人の人生があって、その中で価値観を作っていく。何が正解と思うかは人それぞれ。いくら自分がいいと思うことでも、そこを人に押し付けるのは違う気がします。

実は、そう思うようになったきっかけがあって。8年前に亡くなった母とのことなんですけど。

中村:どんなことがあったか、知りたいです。

母との思い出を語る稲垣さん(写真:今井康一撮影)

マジックで大きく「捨てるな!」って

稲垣:母は亡くなる前に認知症になったんですけど、症状が進むにつれて着たい服を選ぶことができなくなって、いっぱい持っていた洋服の海の中で途方に暮れている姿をみることが増えてきたんですね。

で、これはいけないと思って、「お母さん、着ない服を整理したら? 私も手伝うから」と、2人で話し合いながら服を処分したんです。でも今から考えれば、絶対にやってはいけなかったことだった。

中村:どうしてでしょうか?

稲垣:母が亡くなって遺品を整理していたら、マジックで大きく「捨てるな!」と書いてあるビニール袋が出てきて。

中村:あ……。

稲垣:いつ書いたのかも、私が捨てたことと関係しているのかもわかりませんが、自分の大事なものが「捨てられてしまう」という恐怖が母にはあったんだなと思いました。私は母のために、母の納得を得たうえで処分したというつもりだったけれど、病気で弱くなっていた母には娘の提案を断ることなんてできなかったと思う。

「いいこと」の押し付けって、本当に暴力になるんだって思いました。だから今、父にはなるべく何も言わないようにしています。父には父の価値観があり、80年以上もの歴史がある。どう生きたいかは本人が決めることなのだと。

中村:親には親の価値観があるように、患者さんにも患者さんの価値観がある。

稲垣:そう思います。中村先生が医師として、目の前にいる患者さんに何かチップスを与えたいというお気持ちはすごくわかります。ただ、いくら自分で体感した幸せでも、それがその人にとっての幸せなのかわからないと思うんです。

中村:さまざまな患者さんの最期に立ち会ってきたからこそ、ちょっとした視点の変化で、よりいい時間になるかもしれない!と思ってしまうのですが、その人にはその人の歴史があるから、立ち入れられないところもありますよね。そういう意味では、私がしようとしていたことって、おせっかいですね。

中村医師の「おせっかい」は悪くない?(写真:今井康一撮影)

おせっかいって悪いことじゃない

稲垣:でも、おせっかいって悪いことじゃないです。他人に関わることって素晴らしいと思うんですよ。今、家に何もない暮らしをしているので、近所の小さな小売店や銭湯に通っていると自然にお年寄りの友達が増えて、いろんな話を「うんうん」とうなずいて聞いているんですけど、だいたい同じ話です(笑)。これが親だったらイライラするんだけど。

中村:わかります!

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稲垣:で、そんな大したことをしてるわけじゃないんですけど、お年寄りって、話をウンウンと聞いてくれる人がいるだけで喜んでくれるんですよね。だから私、これも1つの親孝行だと思っているんですね。親の話はちゃんと聞けなくても、他人の親の話はちゃんと聞ける。そうやって親孝行をみんなで回していったらいいんじゃないかって。

中村:確かに、親の話を聞いていると、段々イライラしてきて、「だからね」と遮りたくなりますからね。

稲垣:そういえば、私の父にも「親孝行」してくれる人がいるんです。かかりつけのお医者さん。最近もの忘れがひどい、自分も認知症が進んできたんじゃないって不安になっていたら、「そういうふうに言っている人はまだまだ大丈夫ですよ」と言われたのがすごくうれしかったみたいで、その話を30回くらい私にしています。

中村:話を聞くことって大事ですね。話は変わりますが、認知症になる方もさまざまで、いつもにこにこしている方もいれば、怒っている時間のほうが多い方もいます。この分かれ道はどこにあるんだろうと思うときがあります。

稲垣:母を見ていて思ったことですが、認知症の方が怒ったり、悲しんだりするのは、自尊心が傷つくからなんじゃないでしょうか。忘れっぽくなり、周囲から指摘されて恥をかくようになることが増える。そうなるとニコニコしていられないのが当然だと思うんです。

中村:“認知症は、衰えていくことへの不安から解き放たれるプレゼント”と考える医師もいます。私の母も認知症があったんですが、母はしっかりしている頃「老いていく」ことがとても悲しかったようで、いつもつらそうでした。

でも、認知症が進むにつれて、そこは気にならなくなったのかかえって朗らかになったんです。病気への不安も軽減されていったようで、認知症になると、嫌なことも忘れることができ、そういう意味で認知症は神様の贈り物だと説く医師もいて、なるほどと思ったことがあります。

認知症は「神様の贈り物」なのか?(写真:今井康一撮影)

衰えていく自分とどう向き合っているか

稲垣:うーん、その意見にはあまり賛同できないかな。症状が進めばそうかもしれないですけど、その途中は本当に苦しいと思うんです。本人も周りも。そこをすっ飛ばして「贈り物」ってまとめてしまうのは乱暴な気がする。

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肝心なことは、その苦しい時期をどう苦しくなくしていくかってことじゃないかと思っているんですけど。

中村:そうですね、おっしゃる通りだと思います。ところで、稲垣さんは、衰えていく自分とどう向き合っていますか?

稲垣:「あれもこれもやろうとしない」ということは、つねに意識していますね。いつかはできなくなるんだから、そのときに悲しんだり絶望したりしないように、あれこれ選択せず、与えられたもの、身近なものに満足できる自分を作っていきたい。

お花見も遠出せず、近所の桜を愛でて「こんなに咲いた」とか。最期は病床六尺だから、動けなくなってもそこから目にするさまざまなもので幸せを感じられたらいいですよね。

中村:患者さんもそういうことに気づくことができるか、気づくことができないかで、違うのかもしれません。

稲垣:近所の桜でも、病室の窓から見る空でもいい。「きれい」だって気づけるかだと思います。

中村:気づきって大切ですね。自分が楽しめる方法を自分で編みだそうという方向に向かっていけばいいのですね。

「ピンピンコロリ」は“悪魔の発想”?

稲垣:誰しもいつかは死にます。だから人生の下り坂に入ったら、そんな身近な気づきを増やしていけるように生きる戦略を変えることは、すごく自然なことなんじゃないでしょうか。

それができずに、いつまでも「上り続けることがいいんだ」って思っていると、人生の後半戦は敗北の連続になってしまう。だから、上り続けてパタンと倒れる「ピンピンコロリ」を望む人が多いですけど、それって悪魔の発想じゃないかと。

中村:悪魔の発想? 確かにそうですね。医師からすると、ピンピンコロリは突然死です。

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稲垣:突然死そのものが問題というよりも、ピンピンコロリを目指すことで、下り坂の価値に気づく努力を放棄してしまって、結局人生の大事な締めくくりの時間を寂しいものにしてしまうことが本当にもったいないと思うんですよね。

中村:まずはそこの意識から変えていく必要がありますね。人生の折り返し以降は、新たな戦略のもと、しっかり下りながら新しい価値観を作っていく。それこそが幸せな最期を迎えるために必要なことなんでしょうね。

(司会・構成/岩下明日香)

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