島根県吉賀町に住む野村定男さんは、これまで、講演会などを通じて、シベリアでの抑留など自身の戦争体験を若い世代に伝えてきました。
現在104歳、体力も衰えるなか、9日、入院中の病院で講演会が開かれました。

野村定男さん(104):
「凍っている死体を裸のままトラックに積み込んでいるのです。1体だけでなく、100体の死体でした。母親が見たら、手が震えるだろうと、私は思いました」

戦後、シベリアに抑留され、そこ目にした悲惨な体験。
中学生たちを前に話をするのは、吉賀町に住む野村定男さん104歳です。
これまでに講演会などを通じて、シベリアでの抑留体験など自身の戦争体験を若い世代に伝えてきました。
しかし、野村さんは今年3月から町内の病院に入院中。
体力が衰え、外出が難しい状態になったことから、病院の職員が協力して、院内で講演会を開くことになりました。
9日は、近くの中学校の生徒や病院スタッフなど約60人を前に、39回目の講演会でした。

野村定男さん(104):
「(私の)悲惨な戦争体験を通して、平和の尊さを1人でも多くの方に伝えることです。使命だと思っております」

大正9年生まれの野村さんは、22歳の時、農業移民として満州、現在の中国東北部に渡ったあと、昭和20年に入隊、終戦後は捕虜として、3年間、シベリアに抑留されました。

野村定男さん(104):
「水道管を掘る作業、気温がマイナス30~40度で、土地も(深さ)2メートルあまり凍っている。土地を掘るのは大変な作業でした」

厳寒のシベリアでの生活は乏しい食事と過酷な労働の毎日で、帰国したあとも、野村さんは、当時の経験を家族にも話さなかったということですが、戦争の悲惨さを次の世代に伝えたいと、10年前、94歳のときに講演活動を始めました。

講演を聞いた中学生:
「野村さんたちの世代の人たちがつらい思いをしてきたからこそ、私たちは幸せな生活を送れているのだと思います」
「野村さんの力強い講演を聞いて、絶対に戦争をしてはいけないことを、私たちが次の世代に伝えていきたい」


野村定男さん(104):
「(これからも)戦争の悲惨さを伝えたい」

講演が生きる目標になるという野村さん。
戦争の悲惨さを伝えるため、今後も講演を続けたいと話していました。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。