トランプ前大統領以上にトランプ的。極右。反トランプから寝返った風見鶏──2024年大統領選挙の共和党副大統領候補J・D・バンス上院議員(40)への大方の評価、というより悪評だ。特に女性からは毛嫌いされている。妊娠中絶禁止を求める強硬姿勢や、子どものいない独身女性を批判したことへの反発はとりわけ厳しい。トランプ再選の足を引っ張るのでは、という観測さえある。

貧困からはい上がる

ただ、こうした激しい批判は米国の大統領選挙に付き物だ。主流派メディアの民主党寄りの偏向(それに依存しがちな日本の報道)も割り引いて考えないと、選挙戦ばかりか米政治の見通しも見誤りかねない。

アパラチア山系地域の一角にある「ラストベルト(さびついた工業地帯)」の貧困家庭からはい上がるようにして登場し、たった2年の上院議員経験で副大統領候補にのし上がった。仮に今秋の選挙でトランプと共に当選すれば、わずか4年後には次期大統領に最も近い位置にいる。その時40代前半である。人物像や思想についてもっと掘り下げてみるべきだろう。

バンスが副大統領候補になったことで、2016年以来「トランプ党」になってしまった共和党が、第2次トランプ政権を経て向かう方向性ははっきりしてきた。7月の共和党全国大会におけるバンスの副大統領候補指名受諾演説(同月18日)に、それがくっきりと見える。

トランプ第2期政権は4年で確実に終わる。早期のレームダック(死に体)化を避けるにはトランプ・バンスの協調がカギだ。バンスは早くから政権継承者として重きをなすことになる。指名受諾演説は、4年半後に実現する可能性があるバンス政権を知る重要な手掛かりだ。

共和党保守政治を全面否定

演説は、共和党内の「旧体制派」(メディアは「穏健派」とも呼ぶ)に衝撃を与えた。金融危機を引き起こした「ウォール街の強盗集団」を叩き、アフガン・イラク戦争の失敗、多国籍企業や自由貿易を批判し、「これまでの政治家は失敗を積み重ねてきただけだ……ウォール街のご機嫌とりはもうたくさんだ。われわれは労働者のために尽くす」と宣言した。

これはトランプ前大統領が2017年の1期目の就任演説で、エリートがラストベルトの荒廃を無視している状態を「米国の殺りく」と表現したのと似たところがある。

バンスはトランプ以上に、従来の共和党保守政治を否定しようとしている。労働者階級への連帯を表明したその指名受諾演説で、減税も「小さな政府」もうたっていない。テロとの戦いもない。いわゆるネオリベラル経済政策やネオコン型の積極的対外政策を特徴とするレーガン大統領以来の保守政治を否定しているのは明らかだ。

共和党全国大会の初日、最大級の労働組合であるチームスターズ(全米トラック運転手組合)のショーン・オブライエン委員長が同労組の121年にわたる歴史上初めて同大会で演説したことも、バンス演説とともに、労働者寄り政党の色彩を強める共和党の変貌を象徴した。

反・巨大IT企業で親トランプに

バンスは2016年、半生の回想『ヒルビリー・エレジー』を著して注目を浴びた。ラストベルトの白人貧困層の悲惨な家庭生活と、そこからの脱出をつづった本だ。ヒルビリーとはアパラチア山系一帯に住む貧しい白人に対する蔑称である。「白いくず」と呼ばれ、黒人奴隷以下に見られていた時代もあった。バンスの回想は当時トランプ現象の底流にいる人々の悲惨な姿を見事に伝えているとみなされ、大きな波紋を広げた。

当時のバンスはトランプを否定的に見ていた。ヒトラーに例えたことさえある。他方で、貧困から脱出しベンチャー投資家となり、その頃からピーター・ティールと組んで仕事をするようになった。オンライン決済サービス、ペイパルなどの創業者で「シリコン・バレーのドン」の異名をとるティールは、当時ほとんどが民主党支持だったIT業界にあって、当初からトランプを支持した1人だ。ティールの存在が、バンスをトランプに結び付けた。バンスは22年中間選挙でのオハイオ州選出上院議員選に出馬して当選、さらに今回のトランプ前大統領による副大統領候補指名でもティールの後押しを受けた。

上院議員となったバンスはグーグルをはじめ巨大IT企業の分割に取り組もうとした。バンスがバイデン大統領の連邦取引委員会委員長となった革新的な反トラスト法専門家リナ・カーンを高く評価していることも見逃せない。ティールやその仲間である起業家イーロン・マスクら「テクノリバタリアン」もグーグルなど巨大IT企業の独占的地位を競争妨害だとして敵視するから、方向が一致する。ただ、その関係だけからバンスの思想を考えると見誤りそうだ。

カトリックに改宗した底流

バンスは、2019年にカトリックに改宗している。もとはアパラチア山系一帯に多く住み着いた「スコッツ・アイリッシュ」の家系の出で、プロテスタントだった。この改宗と相前後して、同年から始まった「国民保守主義(ナショナル・コンサーバティズム)会議」に加わった。同会議は、トランプ時代の保守主義の形成を目指して、従来の保守主義とは一線を画して始まった。レーガン時代から共和党政権の中心にあったネオリベラル経済政策やネオコン主導の対外政策を全面否定し、「アメリカ・ファースト」の国内政策重視とナショナリズムを強調する新しい運動だ。

この運動には中間層の怒りを背景に起きたトランプ現象を好機とみて、米国の政治・経済・社会を根本からつくり変えようとするさまざまな思想集団が加わっている。ティールやマスクらテクノリバタリアンたちも一角にいる。ただ、バンスに強い影響を与えているのは、むしろ次の二つの集団だ。一つは「ポストリベラル」と呼ばれる思想集団である。代表的論客は『リベラリズムはなぜ失敗したか』(2018年)を著したパトリック・デニーンだ。プロテスタンティズムに根差す建国以来の個人主義的社会や資本主義の在り方に批判的な思想家である。デニーンをはじめポストリベラルにはカトリックが多い。個人よりも家庭やコミュニティを重視するコミュニタリアン的傾向がある。

『ヒルビリー・エレジー』の執筆を通じて半生を回想する過程で、バンスは現代米国を批判的に見てカトリックへ改宗していった。その詳細は、本人がカトリック系雑誌への寄稿で明らかにしている。妊娠中絶反対の強硬姿勢はカトリック信仰に由来する面がある。

現代米国のネオリベラルな経済体制への批判から、バンスはもう一つの新しい保守派集団である「改革保守派(リフォーモコン)」のシンクタンクである「アメリカン・コンパス」とも連携するようになった。リフォーモコンも「国民保守主義会議」に参画している。同シンクタンクは20年に発足、従来の規制緩和や小さな政府の保守派経済政策を批判し、中国との地政学的対抗も踏まえた米国の製造業復興のための「産業政策」などを提唱してきた。トランプ前政権ばかりでなくバイデン政権の半導体産業支援(チップス法)にも影響を及ぼした。

共和党副大統領候補として一時名前が挙がったマルコ・ルビオ上院議員もアメリカン・コンパスと連携しており、いまワシントンで最も注目されている組織といえそうだ。バンスやルビオは、米国の製造業復活と雇用機会拡大、労働者保護、金融機関や巨大IT企業の肥大化阻止などで民主党左派とも連携してきた。トランプ現象以降の民主・共和両党の関係には対立ばかりでなく、新しい傾向ものぞく。

台湾防衛ではトランプとずれ

「アメリカ・ファースト」の対外政策で、ウクライナ支援には反対するバンスだが、経済政策同様に安全保障面でも対中国で強硬発言が目立つ。米軍の力を中国との対抗に集中させるべきだと主張している。半導体産業重視もあって台湾防衛にも積極的だ。台湾に防衛面で自助を求めるトランプとは、ずれがある。

バンスの製造業を軸とした「産業政策」重視姿勢、対中強硬姿勢が日本にとってどのような意味を持つかは、日本自身の経済活性化、対中国さらには対米国関係の構想次第だ。忘れてならないのは、第2次トランプ政権が誕生すれば、トランプ現象はバンス政権に引き継がれて、米国はさらに大きく姿を変えていく可能性があることだ。新しい米国の国家像を求めて、その背後で動いている保守派の多様な思想運動を理解する作業を怠ると、道を誤る恐れがある。

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