「社内公募で異動できる仕組みがなかったら転職していたかもしれません」。人材サービスのレバレジーズ(東京・渋谷)で働く湊本泰行さんは明かす。
同社は社内公募制度を2021年夏から始めた。各職場が求める社員の条件を社内求人サイトに掲載すると、興味を持った社員から応募が来る仕組みだ。
湊本さんは法人営業担当者として働いていた。入社4年目のある日、レバレジーズの上海支社が事業責任者を募集しているのを見つけてチャンスととらえた。
入社前から東アジアでビジネスをしたいと考えていた湊本さんは海外支社への異動を検討していたが、これまで機会に恵まれなかった。すぐに応募し、書類審査や面接を経て見事採用された。今は日本と中国企業向け人材事業の責任者として、充実した日々を送っている。
現場の負荷大きく定着せず
日本では1990年代に注目された社内公募制度。バブル崩壊後に事業ポートフォリオを見直したり、大型の新事業を始めたりする企業が増えたのを機に、既存社員の再配置を目指すべく導入された。
人員配置の見直しが迫られるケースにおいては、社員一人ひとりに意向を聞くよりも希望者を広く募った方が効率的だ。大規模人事を支えるために一時的に活用する制度という側面が強かった。
一部の企業は制度を存続させたが、異動増で現場が疲弊するリスクもあってか、あまり定着しなかった。人事コンサルティングなどを手掛けるWorks Human Intelligence(WHI、東京・港)の奈良和正研究員は「企業側のメリットが乏しく、多くは次第に形骸化してしまった」と話す。
しかし近年、雇用の流動化が進むなど環境が変化すると、大手システムインテグレーター(SIer)などを中心に、再評価の動きが広まる。社外でも通用するキャリアを社内で築けないと判断し、優秀な人材が会社を離れるケースが出始めているためだ。企業側も、人材を繋ぎとめるために再び社内公募制度に注目するようになった。
ジョブ型雇用と好相性
例えばNECでは2019年に社内公募制度を「復活」させた。1990年ごろから制度自体はあったが「他の部署から優秀な人を引き抜くと迷惑をかけてしまう」といった遠慮から公募を出しにくい状況になっていたという。部長級以上の求人は出せないなどの制限もあった。
こうした状況を変えるため、原則全てのオープンポジションを社内求人サイトに掲載する運用に見直した。年2回だった公募の頻度を通年に切り替え、社員にも職務経歴書を登録するよう促す。
制度に興味を持ってもらえるよう、同社で独自に開発した人工知能(AI)が、公募内容と経歴書をマッチングする機能も付けた。社員が公募の中から興味のあるものを選択すると、類似した公募をAIが推薦してくれる仕組みになっている。
足元では約3400人が経歴書を登録しており、実際に異動した社員は累計で1000人超に上る。NEC人材組織開発統括部の長谷川充ディレクターは「若い世代を中心に新たな業種や職種にチャレンジする社員が増えてきた。現場にかかる負荷は確かにあるが、メリットはそれを上回っている」と手応えを話す。
加えて、最近ではジョブ型雇用制度へと移行する企業が増加したことで、社内公募制度が見直される機運も高まっている。「これまでのキャリアを生かしながら、専門性の幅を広げられるポジションを選びたいとする人が増えてきた」と長谷川氏は話す。成果がよりシビアに評価される環境でも活躍できるよう、複数の専門性を身に付けたいと考える社員のニーズに応える形で、社内公募制度が活用されているのだ。実際、2024年4月から全社員にジョブ型を導入するNECでは、公募による異動者の8割が職種を変えている。
富士通ではジョブ型を20年4月から幹部社員に、22年4月から一般社員に導入した。これに先立ち17年ごろから社内公募制度に取り組む。常に1000〜1500件ほどの公募が社内求人サイトに出ている状況で、業務内容や勤務地などの条件で絞り込める。
ジョブ型ではポストごとに業務内容や役割を明確にし、適切なスキルを持った人材とマッチングさせる必要がある。社内公募と相性が良く、ジョブ型とセットで導入するケースもあるようだ。富士通では既に異動の7〜8割が公募経由だという。
22年度は国内グループ企業を含めて約6400件の募集があった。これらに約7900人が応募し、うち4割が合格している。Employee Success本部Engagement & Growth統括部キャリアオーナーシップ支援部の伊藤正幸部長は「会社側の意向が強かった以前の異動と異なり、社員が自発的にキャリアを選べるようになった」と話す。同制度を通じて異動を決めた社員は、それ以外の方法で異動した社員に比べてエンゲージメント(仕事への満足度)が高いという結果も出ているという。
優秀な人材の定着や従業員のキャリア自律を促す効果が期待できる社内公募制度。ただ注意したいのは、メリットが大きくなってもデメリットがなくなったわけではない点だ。WHIの奈良氏は「適切に運用しなければ、かえって社員の失望を招く」と警鐘を鳴らす。
例えば募集する側の担当者が、良い人材を獲得しようと希少なスキルが身に付く職場のように求人内容を誇張したケース。キャリアを切り開こうとする高い意志を持った人ほど、異動後に理想とのギャップを感じて退職しかねない。公募掲載時のルールやひな型を決める対策が有効だ。
時代の変化によって再評価された社内公募。活用にはきめ細やかな制度設計が欠かせない。
(日経ビジネス 朝香湧)
[日経ビジネス電子版 2024年3月15日の記事を再構成]
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