2014年11月に逝去した自動車評論家、徳大寺 有恒。ベストカーが今あるのも氏の活躍があってこそだが、ここでは2013年の本誌企画「俺と疾れ!!」をご紹介したい。レースにまつわる昔ばなしから日本の現在へ、クルマの買い替えのタイミングはどうあるべき? 国産メーカーのルーツは? 氏の見識の豊かさ、深謀遠慮に触れる5本(本稿は『ベストカー』2013年6月10日号に掲載したものを再編集したものです/著作権上の観点から質問いただいた方の文面は非掲載とし、それに合わせて適宜修正しています)。

■レースにまつわる昔ばなし

ファン・マヌエル・ファンジオ…アルゼンチン出身の伝説的ドライバー。アルファ・ロメオ、マセラティ、メルセデス、フェラーリとチームを渡り、通算5度のチャンピオンに輝く。46歳で5度目のチャンピオンになり、47歳まで現役で走った。51戦で24勝、勝率は47%を超える

 クラシックカーレースというものが存在する。古いクルマのレースである。今に残るヨーロッパ各国のグランプリはその名残ともいえようか。

 最も古いとされているのは、フランスGPである。この19世紀のモータースポーツはクルマを今日あらしめる原動力となった。レースあればこそ、クルマの最高速は向上したのである。当時のレースの多くは新聞社主催で行なわれ、自動車の発展に大きな力となった。

 またエンジンのみならず燃費についても大いに向上したのだ。今日のクルマが到達したものは、多くのレースによるものともいえる。その最高峰がF1であるが、そのほかのクラシックレースも大なり小なり関係している。

 クラシックレースはル・マン24時間レースをはじめ、イタリーのミレ・ミリア1000マイルレースなどは、その最たるものだろう。ミレ・ミリア、ル・マン24時間、モナコGPなどは歴史も古く多くの名シーンを演出している。

 GPレースはクルマと人とのレースであり、多くの名手を生んでいる。イタリーのマントヴァ出身から空飛ぶマントヴァ人と呼ばれたタツィオ・ヌボラーリやアルゼンチン出身で5度のワールドチャンピオンに輝くファン・マヌエル・ファンジオ、そして無冠に終わったイギリス人スターリング・モスなどはどこでも走ったし、どこでも速かった。ファンジオは故郷アルゼンチンのパンパを走るレースでも速かった。

 F1レースが真に国際的になる以前、モータースポーツは現代のようにシステム化されていなかったからルールも曖昧だった。

 しかし、1950年から各国GPが組織化された。それでもイギリスGP以外は各国とも赤字であった。ドライバーが金をもらって走るようになったのは、けっこう最近のことなのだ。

 ドライバーが自分の飛行機で飛んで回ることも最近のことだ。1965年ロータスのジム・クラークはインディ500にも勝ち、その優勝賞金で自家用飛行機を買っている。

 F1パイロットは各国からの集まりだが、1950年代は貴族も多かった。タイ出身のプリンス・ビラはまぎれもなく王族の一員であったし、彼以外にも王族、貴族は多かった。ミッレ・エリアというイタリアの公道市街地レースで事故死したスペイン出身のドライバー、ポルターゴ侯爵もそうだ。

 そういう時代のドライバーはむろんもてたが、同時に彼らの仕事は危険で明日をも知れぬというものであった。

 明日をも知れぬリスキーな仕事、そして名家とくれば、それはもてないわけがない。しかし、やがてそれも少しずつ普通の人になり、特に日本ではフラットになっていく。それが私にはいいと思うがどうだろう。

 日本も終戦以前は、明治以来の華族と呼ばれる貴族がいたのである。公、侯、伯、子、男の五爵が明治17年の華族令によって定められていた。日本は江戸から明治に代わる時に武士の中でも大名家や公家などが重んじられ爵位が与えられたのだ。

 それも1945年の太平洋戦争の終了とともにGHQが日本を占領し、旧華族制も無になってしまった。現在の日本は金も名誉も自分次第で手に入れられることになっているが、本当にそうなのか。この点については調べてみなければならない。

 日本国憲法によって日本人は生まれながら平等であり、出世するも金持ちになるも本人次第ということになっている。しかも、すべての人間には自由があり、働くも怠けるも自由となっている。“自由”ということではこれ以上あるまい。アメリカをはじめとする世界の国々はこうはいくまい。この“自由”ということにおいては日本はかなりであろうと思う。

 と思ううちに70代も半ばになってしまった。働きたくないとは思わないし、生来の浪費家ゆえ蓄えもなく老後が心配だったが、老いるということはいろんな欲も少なくなると思える。

 しかし、悟りとは遠い存在だからまだまだ欲がなくなるとはいい難く、さあて、これからどうなりますやら……。せいぜい美味しいものを食し、美女と時折話して残りを過ごすことにしようと思うが……。それもこれもある計画があってこそなのである。

 それは、中国の訓話にあるごとく美女の脚に見とれて雲から落ちる仙人になってみたいと思うこのごろである……。

■Z3の次に乗るクルマ

BMW Z3……3シリーズコンパクト(E36/5)をベースにした2シーターオープン。アメリカのサウスカロライナ工場で作られた初のBMW車で、1.9Lエンジンは140psで車重は1220kgとバランスがよく、FRということもあって人気が高かった

 BMW Z3ロードスターの初期型に乗っているという読者の方からの、そろそろ幌やシートなどは汚れや傷みが目立つようになり、高回転の回りが悪くなってきたので買い替えるべきかとも思っている、BMWのZ4とアウディのTT(現行モデル)なら、徳大寺さんのおすすめはどちらでしょうか? という質問に応えて。

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 走行距離はどのくらいですか? 高回転の回りが悪くなるのは調整で直ると思いますが……。トップやシートは大切にさえ乗ればそんなに傷みません。

 クルマは床の間の飾りではありませんから、くたびれてくることも、壊れることもあるでしょう。しかし、乗る時はキチンと乗る、そのことが大事です。大切に乗ることと、キチンと乗ることは同じことなので、一度しっかりと直してやってください。

 雪の降る富山でもクルマをキチンと乗れば半年や一年でダメになることはありません。

 だから、私はあなたが気になっているというZ4やアウディTTよりも、あなたが気に入っていたのに手放そうとしているZ3をしっかりと直して乗ることをお薦めします。

■リチウムイオン電池の不具合

 三菱 アウトランダーのリチウムイオンバッテリートラブルによる生産ストップの話題から、「やはりPHVというシステムがまだ過渡期ということなのでしょうか?」という読者の疑問に応えて。

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 私はPHVというシステムに問題があるとは思いません。おそらくリチウムイオン電池もより多くのメーカーが使えばさまざまな問題があぶり出され、解決されるでしょう。だから、トヨタ、日産、ホンダというメーカーが参入し、さまざまな研究と競争が行なわれることが必要でしょう。

 もちろん国の積極的な指導と後押しも必要です。

 何しろPHVとして販売されているのは、プリウスとアウトランダーだけなのですから、これからPHVというクルマが発展するのは、多くのメーカーからさまざまな車種が登場し、競争することが欠かせません。

■日本車とKERS

 フェラーリ・ポルシェが採用したKERS(カーズ・ブレーキング時に排出するエネルギーを回生してパワーに回すシステム)に触れて、日本車での採用は難しいのでしょうか、フェラーリやポルシェといったスポーツモデルがハイブリッドシステムを採用することをどのようにお考えですか、という質問に応えて。

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 パワー重視と思えるのですが、私の考えは少し違います。エンジンの最重要問題は効率でしょう。その点でリッターあたりの出力とか燃費はとても重要です。そのため、DOHC化やターボやスーパーチャージャーによる過給が行なわれるのです。KERSは高速車と高速交通が基本でしょう。ヨーロッパのような平均速度の高い国はいいのですが、日本やアジアの国では今のところインフラの問題を考えると必要ないと思います。

 フェラーリやポルシェというクルマの値段が高いのもそのためです。年間数千台しか売れなくてもビジネスにできる国とそうでない国があります。どちらがいいかではなく、基本的な考え方の違いでしょう。

 ヨーロッパのような文明、文化のあり方がいいのか、日本のような工業国指向がいいかは、その国の国民性が決めることでしょう。

 フェラーリ、ポルシェは少量生産のスポーツメーカーです。スポーツカーは例えるなら、F1に近く、トヨタ、ホンダのようなクルマ作りはスポーツカーの生産には向いていません。しかし、トヨタもホンダも日本で楽しいクルマ作りを、とは考えているでしょう。

 自動車という道具の根本なのですが、自動車という商品はひとりメーカーの思いつきでは作れないし、理論でもできません。

 私はトヨタもホンダも得意のハイブリッドを使い、KERSがなくても安くて楽しいスポーツカーを作ってくれると思っています。

■航空機会社と自動車会社

栄エンジン……中島飛行機が開発、製造した空冷星型レシプロエンジン。複列14気筒OHVの栄12型はスーパーチャージャーをつけ、950馬力を発生。零戦21型などに搭載された

 読者の方からの、「飛行機会社と自動車会社にはどんな共通点があり、飛行機を作るどのような技術がクルマ作りに生かされたのでしょうか?」という質問に応えて。

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 確かに、国産自動車のルーツは戦争国家だった日本の飛行機会社にあります。民間のことよりも国家のほうが大切だった時代です。

 ただし、日本はお金がなく大国と戦わなければならなかったので、多くの飛行機のエンジンはドイツやアメリカのV型やマルチエンジンと違い、シンプルな空冷でシリンダーが放射状に並べられている星型エンジンでした。

 ちなみに零戦は中島飛行機製の複列14気筒(7気筒が2列になっているもの)の星型エンジンだったのに対し、ドイツのメッサーシュミットはダイムラー・ベンツ製のV型12気筒、アメリカのマスタングことP-51はパッカード製のV型12気筒を搭載していました。

 星型エンジンは自動車にはそのまま使われませんでしたが、日本の飛行機会社はエンジンの基礎技術としては、優れたものを持ち、それは自動車に生かされていくことになります。

 敗戦でGHQにより、飛行機会社は軍需産業にならないよう解体され、技術者の多くが自動車会社に職を求めることになったことも大きな要因でした。

 敗戦当時私は7歳でしたから、当時どのような状況であったかは、本や映像でしか知りません。

 日本は敗戦で多くのものを失いましたが、長い目で見ればよかったと思われます。

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