スカイラインといえば、その最高峰「GT-R」に注目が集まってしまうが、もうひとつ、ちょっと記憶にとどめておきたい一台が「RS」である。振り返ってみれば「GT-R」になり切れなかった不運な時代の意欲作という印象も残る。それだけに忘れたくない、記憶にとどめておきたいモデル、ともいえる。
文、写真/いのうえ・こーいち
■規制だらけの不幸な時代
いろいろな規制の波が押し寄せるなか、スカイラインGT-Rは1973年に少量の生産をして姿を消してしまった。最後になった「ケンメリ」の愛称のGT-Rはその数の少なかったこともあり、「幻のGT-R」というようなニュアンスもあった。
多くのスポーツ・モデルが消えていくなか、まさに時代はどうなっていくのかという不安さえ漂っていた時代だ。
たとえば、その直前には各メーカーが挙って送り出していたスポーツ・モデルの象徴ともいうべき「DOHC」エンジンが、わずかにトヨタといすゞを残して消え去った。なかでもその最右翼というべき直列6気筒DOHC24ヴァルヴを搭載した「GT-R」の生産中止は、まさしく火が消えた印象を残したものだ。
それからというもの、排出ガス規制をクリアしたホンダ・シビックを先頭に、世の中は一斉に「低公害」の方を向くのである。スポーツカーの類はまるで「悪」の根源のような風潮、思い返してみればおかしな時代であった。
スカイラインにしても、もっともスポーティを謳ったモデルでも特別パワーフルでもなく、全輪ディスク・ブレーキ装着がスポーティの証し、というような按配であった。
■DOHC、気筒あたり4ヴァルヴの復活
「ケンメリ」から一世代飛ばして1981年8月に登場した「R30系」スカイライン。GT-R全盛の「愛のスカイライン」になぞらえて「新・愛のスカイライン」と銘打った六代目に当たるスカイラインである。それまでのスカイラインのシンボリックなことがいくつか消滅していた。
6気筒エンジン搭載のためにボンネットを延長した「GT」だったが、4気筒搭載モデルと同じ寸法にされた。スタイリング上の特徴だったリア・ホイール部分の「サーフィン・ライン」の消滅……この二点はファンをがっかりさせたものだ。
しかし、それこそが新しいスカイラインを主張する。モデルチェンジから少し遅れた10月に加えられたのがスカイラインRS。ホットエンド・モデルとして、先のGT-Rをも上回るパワーを引っ下げての登場であった。
そのボンネットの収まるエンジンは、FJ20E型。ブロックから新設計されたそのエンジンの最大の特徴は気筒あたり4ヴァルヴの採用であった。もちろんかつてのGT-Rを彷彿をさせるスペックではあるが、直列4気筒、つまりは16ヴァルヴ・エンジンであった。パワーは150PS。
その搭載モデルはスカイラインRSとされた。GT-Rの象徴、赤地のエンブレムも復活されたし、レースへの復活も果たされることになる。すわGT-R復活、と期待していたクルマ好きは少しばかりがっかりしたのではあるが、さらなる進化を見て、一方では大いに納得もさせられた。
■ひとつの帰着点、ターボRS
その納得材料となったのが、1983年2月に送りだされたのがスカイライン「ターボRS」である。
FJ20系エンジンにターボ・チャージャを付加したそれは190PSのパワーを実現した。GT-Rの160PSを超え、スカイライン史上最強を謳う。さらにである、その1年後の1984年2月にはインタークーラー+ターボ・チャージャ付加モデルとして205PSを発揮、あっさりと最高出力を更新してしまうのである。
車名はスカイライン2000インタークーラーターボRSという、装備そのままのネーミング。マイナーチェンジでグリルを廃した装甲車然とした顔付きになったことから「鉄仮面」などという愛称も頂戴してしまう。
ちなみに「RS」はもちろんレーシング・スポーツ。低公害時代のシビックRSが「ロード・セーリング」ですよ、などと主張したのに対し、佳き時代が戻りつつあることをも予感したのだった。
そして、もうひと世代を経たR32系でいよいよGT-Rに復活を見る。その露払いの役を受け持ったようなスカイラインRS。いまやGT-Rの完全復活をみるにつけ、「RS」もまた忘れたたくないスカイラインのひとつ、と思い返すのである。
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