公園を散歩しながら、景色を楽しむ幸陶一さん。認知症になった後も家族の応援を得て、生きがいの散歩を続けている=京都市西京区で2024年5月17日、川平愛撮影
写真一覧

 冬の太陽が沈み、夜の闇が山道を覆った午後5時だった。

 2023年12月7日、京都市西京区。認知症当事者の幸陶一(ゆきすえかず)さん(79)は散歩の途中でやぶに足を踏み入れ、急斜面を滑り落ちた。

 「崖から滑ったんだけどな。(落ち葉で滑って)上にあがれないんだ」

 スマホの電話で助けを求められた家族が、全地球測位システム(GPS)で幸さんのスマホの位置を調べたものの、山あいのためかうまく表示されない。救助を要請した警察などの捜索隊もなかなか本人にたどり着けない中、窮地を救ったのはある持ち物だった。

 「認知症の人の外出 あしたへつなぐ」では外出の工夫や体験談、あってほしい支援などの意見を募集しています。どうすれば本人の望む外出を長く続けられるか、行方不明の課題を含め、みなさんとともに考えていきます。応募の詳細はこちらから。つながる毎日新聞からも応募できます。 
 なぜ驚きの回復 認知症の前田さん、道に迷いさまよい歩いた夜も(8日公開) 
 元警察官設立の「つなぎ」 保護された認知症の人を家族のもとへ(10日午前7時公開予定) 

寝る間もなく働く日々

 認知症の有無にかかわらず、自由に出かけられることは自分の暮らしを続ける上で大きな意味を持つ。どうすれば本人の望んだ外出を続けられるか。京都市の幸さんと家族の歩みに耳を傾けたい。

 幸さんは熊本県天草市出身。キリスト教がさかんな地域で家業が仏壇屋の幸さんも週末は教会に通った。

 高校を出た後、東京都内に本社があるゼネコンに就職する。のちに「洛西ニュータウン」(西京区、約2・6平方キロ。1976年入居開始)を造成する事業の施工管理に携わったことから京都に移り住んだ。「竹林の美しさに感動しました。極端に言えば、洛西ニュータウンは自分がつくったまちだという誇りがあります」

幸陶一さんが京都市内に出かける時に持ち歩いていた地図帳。バスの情報などを書き込んでいる=京都市西京区で2024年5月17日、川平愛撮影
写真一覧

 40歳の頃、会社を辞め、土木関係の設計事務所を開業。約2年後に洛西ニュータウンで暮らし始めた。懸命に働いて徹夜したり、各地を飛び回ったりする日々が続いた。電車だと寝過ごすこともあり、眠っても目的地で起こしてもらえる飛行機の移動がありがたかったという。

新しい仕事を断る

 長年働きづめだった幸さんに話した内容を忘れるなどの異変が表れたのは2017年ごろ。翌年に軽度認知障害の診断を受けた後も周りに助けられながら仕事を続けた。

 転機は20年。土木や設計の専門家として裁判で意見を伝える機会に、裁判官から自分が出した資料の説明を求められてもうまく返せない。ショックを受けたこの翌日から新しい仕事を断って部下に任せた。「一つでも数字を間違えると事故になるから」と関係先に伝えたという。現在は医師から認知症と告げられている。

公園を散歩しながら、景色を楽しむ幸陶一さん=京都市西京区で2024年5月17日、川平愛撮影
写真一覧

ハーモニカで発見

 幸さんは印刷した地図や時刻表をノートにはるなどの工夫をして外出を続けた。家族も支えた。幸さんが自転車を置き忘れて徒歩で帰宅したため、スマホの位置情報のルートをたどって見つけたこともあった。

 幸さんはデイサービスでは子どもの頃に教会で吹いたハーモニカを披露してみんなに喜んでもらった。23年12月に崖から落ちた際、居場所特定の役に立ったのがこのハーモニカだ。散歩中に公園で吹くこともありいつも持ち歩いていた。

 急斜面を30メートルほど滑り落ちた幸さんはスマホで助けを求めたものの、自分のいる正確な場所を伝えられない。大まかなエリアは分かり、警察や消防が捜索にあたるも簡単には場所を割り出せなかった。そこでハーモニカを吹き鳴らして音を発したことで場所が分かり、救出されたという。救出までの約3時間身動きが取れなかったものの、左腕の擦り傷と打撲で済んだ。

公園を散歩し、あずまやで休憩しながらハーモニカを手にする幸陶一さん。山道を滑り落ちた時、このハーモニカに助けられた=京都市西京区で2024年5月17日、川平愛撮影
写真一覧

散歩を続けるためには

 なにかあれば必ず会議を開く幸さんの家族。この一件の後、妻(74)、長女の暁子さん(49)、次女(47)、男子高校生の孫(17)の4人が本人を交え話し合った。散歩は本人の生きがいでもある。無理に止めるのは難しいだろう。

 そこで、歩くエリアを道に迷うことなく安全も確認できる洛西ニュータウンに限ることにした。曜日ごとに担当を決め、午後4時にスマホのGPSで位置を確認しつつ、電話をかけて4時半までに帰るよう伝える。幸さんは「電話で気にかけてくれることがうれしい」と感謝している。

 現在も散歩を続けている幸さんは「このまちを歩くことは癒やしになります。家族のためにも体調を万全にしたい」と語っている。

地域の見守りも

 長年介護関係の仕事をしてきた暁子さんは、認知症の人に向けるまなざしがあたたかくなった社会の変化を肌で感じている。捜索で見つかった際も「もう歩かせんといて」と厳しい言葉をかける人はなく、気持ちが救われた。地元の人たちが散歩する幸さんを見守ってくれている雰囲気もある。暁子さんは「こうした地域で暮らせることは家族の安心材料でもあります」と語る。

 家族の間では互いに無理はしないことを決めている。「その方が気持ちが楽ですね。ぐちもため込まないようにしています」と暁子さん。幸さんをよく知る境谷地域包括支援センター(西京区)主任ケアマネジャーの木寺弘美さんも「外に出るのは勇気のいることですがサポートがあれば続けていける。幸さんの家族はよく話し合ってみんなで考えている」と語る。

大好きなハーモニカを手にする幸陶一さん。山道を滑り落ちて、捜索隊が居場所を割り出せなかった時、ハーモニカを吹いたことで発見された=京都市西京区で2024年5月17日、川平愛撮影
写真一覧

 幸さんは現在、認知症当事者としての思いを講演で伝えている。自分が誰かの役に立っていることにやりがいを感じるという。

 認知症になったことで長年あった仕事の重圧から解放され、たくさんの人が気に掛けてくれる安心の中に身を置いている。幸さんは講演で笑顔を見せ「認知症になって幸せです。楽しいことがいっぱいあります」と語る。木寺さんによると、その前向きなメッセージは多くの人の胸に響いている。【銭場裕司】

=随時掲載

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。