様々な資料や活動を通して戦争や平和に関心を持ってもらおうと奮闘する加賀市の男性がいる。戦後79年、戦争の記憶が薄れていく中、戦争の悲惨さをいかに次の世代につないでいくか。大きな課題だ。
戦後79年…風化する悲惨な記憶
この記事の画像(13枚)紙芝居を披露する佐藤公男さん:
もう我慢できない、たまらない。ゾウ係のおじさんはエサのある小屋に飛び込みました。エサを足元にぶちまけました。さあさあさあ、食べろ食べろ。お腹いっぱい食べろ!
子供たちを前に紙芝居を披露する佐藤公男さん74歳。14年前から石川県加賀市の自宅近くで「平和工房・江沼の郷」を運営。”戦争”と”平和”をテーマに石川県に関係する書物を中心に戦前戦後の資料、約3000点を公開している。
貴重!戦中戦後の資料を収集公開
中には、関東大震災の後に上海事件の犯人ということで捕まって金沢で処刑されたユンボンギルに関するものなど貴重なものや、731部隊の関連資料なども…。
資料以外には、芝居の台本や九谷焼、人形なども…。「それぞれ興味あるジャンル・分野って違う。ここに来た人が選択できるような場所と資料は提供したい」佐藤さんはそう考えているからだ。
出版関係の仕事をしていた事から資料を集めるようになった佐藤さん。きっかけは20代の頃、
多くの被爆患者を診察してきた広島の福島生協病院を訪問したこと。そして、病気のため戦争に行けなかった父への思い。佐藤さんは「仮病じゃないか?と言われたことが父は1番つらかったみたいですね。本人からは戦争体験を全く聞いていないです。母から父はこんな思いだったんだよと聞いて、直接戦争経験が無くとも語り継がないといかんなと」と話していた。
佐藤さんは毎年、戦争と平和に関する展示も行っている。26年前の展示会で佐藤さんは「私たちは決して、戦争を風化させない。後々伝えていきたいという思いだ」と話す。
今年の展示会で佐藤さんは「福井空襲」のコーナーを設けた。太平洋戦争末期に福井市を襲った空襲で、1576人が命を落とした。佐藤さんは、「福井空襲と言うと地域が違うと思いがちですが、加賀市大聖寺の人たちが、撃しましたよって方がけっこういる。大聖寺から福井方面見たら空が真っ赤になっていたと」と話していた。
消して風化させない!思いは次の世代へ
平和の大切さを教えるため、地元の小学校を訪ねた。
佐藤さん:
「小学校の近くに残る戦争遺跡、山中海軍病院と地下壕、地下のトンネルを紹介します。海軍病院の建設に大人に混じって山中小学校の生徒も参加していました。皆さんの大先輩」
佐藤さんは言う、「加賀市内にはたくさん防空壕があり、見たり聞いたり感じたことを調べるのがとても大事です」と。
子供たちからは「防空壕があったことは知っていたけれど、本当にそんなことが現実にあったんだって、大きくなってからも伝えていきたいなと思いました」「自分と同じぐらいの子が迫害などを受けた話を聞いて、平和って本当に大切だなと思いました」と声があがった。
工房を取材した日、佐藤さんが笑顔になるシーンがあった。取材に同行したインターンシップの学生が資料に興味津々だったからだ。
学生の一人が「日本には加害者としての意識もあってほしいって思うんです」と話すと、佐藤さんは「まさにそう。被害としての戦争についてはものすごく語られている。ドイツや他の国と違って、日本は戦争に対して申し訳なかったという反省がない。曖昧にしたまま戦後80年。加害の実相を知るってものすごく大事。でも加害については目を伏せたくなるじゃないですか。そこが今の問題かなと」と答えていた。
学生から更に「勉強をカリカリしていても見られない資料なので、実際に見る機会がすごく大事」「色々なジャンルの資料があって関心を持ちやすく、もっと知りたいという思いが強まった」との声が聞かれた。励みになったという佐藤さんは「時々嫌になることもあるんですが、こうやって来てくれるともうちょっと頑張らなきゃいかんなと」と話していた。
今年の終戦の日も佐藤さんは平和を願う活動を行っていた。「平和を問うだけじゃなくて、具体的に自分たちが何が出来るのか。行動することが大事。そういう思いが結実されるのが8月15日」佐藤さんの思う平和とは何なのか聞くと「普段の日常が続くこと。日常の延長の中に平和がある」そう答えが返ってきた。
(石川テレビ)
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