精神を疲弊させ、日常生活に支障が出るほど食べ物のことばかり考えてしまうことを「フードノイズ(食べ物の雑音)」という。これは、新しい概念でもなければ、診断名でもない。しかし、糖尿病治療薬「オゼンピック」や肥満症治療薬「ウゴービ」といったGLP-1受容体作動薬に、フードノイズを抑え、人によっては完全に消してしまう驚きの副次的な効果があるという報告が医療者や患者から出てきており、注目を集めている。
「GLP-1薬を投与したら、それまで食べ物のことばかり考えていたのに、心がとても落ち着いたと報告してくる患者がたくさんいます」と話すのは、肥満医学の専門家で、米ノースウェスタン大学ファインバーグ医学部の医学・医学教育学教授であるロバート・クシュナー氏だ。「そこで、フードノイズという概念に興味を持ちました」
摂食行動を専門とする心理学者で、米ニューヨーク大学グロスマン医学部精神医学臨床助教のレイチェル・ゴールドマン氏も言う。「多くの人は、フードノイズが軽くなり始めるまで、自分の頭がどれほど食べ物のことで占められていたかに気付きません」
一日の8割、食べ物のことを考えている人も
初めにはっきりさせておくと、フードノイズは飢えや食料不安とは関係がないと、米ジョージ・メイソン大学の栄養学と食品研究の教授で、米ジョンズ・ホプキンス大学医学部の非常勤教授も務めるローレンス・チェスキン氏は言う。フードノイズは、食べ物の思考で頭のなかがいっぱいになることなのだ。
2023年11月17日付で医学誌「Nutrients」に発表された論文は、フードノイズを「食べ物への執拗なこだわりと反芻(ぐるぐる)思考」と概念化した。
これを引き起こすきっかけを「食物手がかり」というが、それには空腹でお腹が鳴ったり食べ物のことを考えたりといった内的な手がかりと、おいしそうな食べ物を見たりにおいをかいだりといった外的な手がかりがある。こうした手がかりによって、食べ物に関する考えが頭の中をぐるぐると回り始める。
フードノイズの強さやその影響は人それぞれだ。何を食べるか、いつ食べるか、どれくらい食べるかといったおしゃべりが頭のなかをひっきりなしに飛び交い、ほかのことに集中できずに、ストレスを感じるようになる人もいる。食事中なのに、次の食事では何を食べようかと考えていたりするかもしれない。
「円グラフを想像してください。一日のうち何%くらいを、食べ物のことを考えながら過ごしていますか」と問うのは、米クリーブランド・クリニックの臨床心理学者で、『食も心もマインドフルに 食べ物との素敵な関係を楽しむために』の著者であるスーザン・アルバース氏だ。「フードノイズが多い人は、一日の80〜90%を、食べ物のことを考えて過ごしています」
頭にフードノイズが侵入してくる人は、「それが睡眠に影響を与えたり、食べることに対して罪悪感や恥ずかしさを覚えたり、不安な気持ちになったりすることがあります」と、ゴールドマン氏も話す。「最高の調子でいることが難しくなるかもしれません」
逆にフードノイズが小さい人は、背景に流れる静かな雑音のように、ほとんどそれに気づかない。
フードノイズを感じやすい人
誰でもフードノイズを経験する可能性はあるが、過体重または肥満の人はそうでない人よりもフードノイズに悩まされやすい。しかも、それが減量を困難にする。
「フードノイズが過剰になると、人はそれに対処しようとします。つまり、食べてしまうのです」と、チェスキン氏は指摘する。
実際、2015年12月に医学誌「Obesity Reviews」に発表された研究では、食物手がかりに対する反応性が高まっていると、食欲が刺激されて摂食行動を促し、体重の増加につながりやすいことが明らかになった。
さらに、2024年に米ダイエット企業ウェイトウォッチャーズと米ジョージ・ワシントン大学に拠点を置く肥満防止のネットワーク、ストップ・オビシティ・アライアンスが米国での調査結果をまとめた報告書では、「過体重または肥満の人の半分以上がフードノイズを経験している」と指摘する。そしてその多くが、フードノイズのせいで健康的な食事計画や運動管理を続けるのが難しくなっていると訴えたという。
ほかにも、摂食障害を抱えている人、食事のパターンが不規則な人、食べ物に関してたくさんのルールを設けている人、ダイエットしたりやめたりを長年繰り返している人も、フードノイズを感じやすい。
2024年2月号の医学誌「Appetite」に発表された研究では、「オルトレキシア」と呼ばれる摂食障害を抱えている人の間で、フードノイズの経験者が多いことが明らかになった。オルトレキシアの特徴は、健康的な食生活や食品の安全に異常なこだわりを持ち、厳しい食のルールを自らに課すといった行動だ。
薬で思考プロセスに働きかける
オゼンピックやウゴービのようなGLP-1受容体作動薬を投与された患者の多くが、フードノイズが減ったと報告している。その背後には、どのようなメカニズムがあるのだろうか。
これらの薬は、「空腹感や食欲に関連する脳と消化管の受容体に働きかけ、摂食行動の引き金となるものの一部に影響を与えます」と、チェスキン氏は説明する。
また、GLP-1薬はフードノイズを弱めるような形で脳内報酬系にも影響を与えている可能性がある。GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)は、体内に自然にあるホルモンで、血糖の調節、食欲、消化の働きに関わっている。
「GLP-1受容体は、視床下部や報酬中枢など、脳のいたるところにあります」と、クシュナー氏は説明する。フードノイズに関しては、「薬が複数の受容体に働いて、他の思考や感情を締め出そうとする信号の連続放出を防ぎます」という。
言い換えれば、「脳のなかのドーパミン報酬経路を阻害することによって、食べ物に関する異常な思考プロセスをも阻害するわけです」と、クリーブランド・クリニックの肥満・代謝研究所の肥満医学部門長W・スコット・ブッチ氏は言う。
2024年10月16日付で医学誌「Addiction」に発表された論文では、GLP-1受容体作動薬が依存症患者にも効く可能性があることが明らかにされた。アルコール使用障害を抱えている人がこれらの薬を使用すると、酩酊するまで飲む確率が50%減り、オピオイド依存症患者の場合も、オーバードーズ(過剰摂取)が40%減少したと報告されている。
引き金を知り、習慣を見直す
薬を使わなくても、フードノイズを減らすために取れる行動はある。専門家はまず、睡眠、食事のパターン、水分補給、運動、ストレス管理など、自分の健康習慣を見直すよう勧めている。
「疲れているときやストレスを感じているときは、こうした侵入思考(意図せずに思い浮かぶ不愉快な考え)と戦うのが難しくなります」と、ゴールドマン氏は言う。
また、自分のフードノイズのパターンや、何が引き金となるのかを書き留めておくといい。引き金を特定できたら、「それを減らすための対策を講じましょう。5時間何も食べずにいるとフードノイズが騒がしくなるようなら、4時間か3時間で食べるようにしてみてください」
毎日決まった時間に食事をとり、体も心も満足できる食べ物を選択しよう。「食べたいものを食べるよう自分に許可を与えると、フードノイズを驚くほど減らす効果があります」と、アルバーズ氏は言う。「食べる物を制限したり、欠乏感を味わったりすることは、フードノイズの増加につながります」
食事をするときは時間をとって、「意識して食べることを心がけてください。そして、見た目、味、舌ざわり、においなど食べ物の感覚的な特徴に注意を払うようにします」と、アルバーズ氏は付け加える。そうすると、食べているものを最大限楽しむことができる。
運動したり、読書や音楽鑑賞などドーパミンの放出を刺激するような楽しい活動に携わったりすることも、フードノイズを鎮める役に立つ。
文=Stacey Colino/訳=荒井ハンナ(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年11月6日公開)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。