岸田文雄首相(自民党総裁)は14日、9月の党総裁選に出馬しない意向を表明した。「政治とカネ」の問題で国民の不信を招いた党の再建に向け「新生・自民党を国民の前に示すことが必要だ」と話した。ドラマを繰り返してきた同党の総裁選を振り返る。(肩書は当時)
自民党総裁選は1回目の投票でどの候補者も過半数を得られなかった場合、上位2人が決選投票に進む。1回目の最多得票者が2回目で逆転される現象が起きうる。
野党時代だった2012年9月の総裁選があてはまる。野田佳彦首相が率いた民主党政権への世論の支持が低迷し、次期衆院選で自民党が政権に復帰することが確実視されており、事実上「次の首相」を選ぶ選挙となった。
安倍氏の逆転劇
現職の谷垣禎一総裁が出馬せず、安倍晋三、石破茂、町村信孝、石原伸晃、林芳正の5氏が立候補した。
前政調会長の石破氏が世論の人気を背景に幅広く党員票を集め、初回の投票で首位にたった。国会議員のみの決選投票で元首相の安倍氏が逆転し、首相の再登板へ布石を打った。
石破氏は離党した経験があり主要な派閥からうとまれていたとされる。安倍氏は他の候補を党員票で圧倒した石破氏を人事で処遇せざるを得ず、幹事長に起用した。
決選投票での逆転は1956年12月の総裁選以来、56年ぶりだった。その時、敗北したのはくしくも安倍氏の祖父、岸信介氏だった。
初回で1位だった岸氏に対し、2位の石橋湛山氏と3位の石井光次郎氏が協力し、石橋氏が勝利した。
石橋・石井両陣営に上位となった候補に下位の候補が票を投じる「2、3位連合」の約束があったとされる。議員同士の合従連衡の計算がしやすい時代だった。
2001年4月の総裁選は、党員票が旋風を吹かせ下馬評を覆した。森喜朗首相の退陣表明を受けて、小泉純一郎、橋本龍太郎、亀井静香、麻生太郎の4氏が争った。
当初は最大派閥の橋本派を率いた元首相の橋本氏が有利とみられたものの「自民党をぶっ壊す」と構造改革を唱えた小泉氏が党員票で圧倒し勝利した。
都道府県で実施した予備選の党員票の動向を見て勝ち馬に乗ろうとした議員の票が小泉氏に流れた。党内でタブー視された郵政民営化を訴える一言居士的存在だったが、直後に参院選が迫り、世論に近いとされる党員票を無視できない議員心理も働いた。
現職の鈴木善幸首相の不出馬を受けた1982年11月の総裁選も地方の予備選が本選に影響した。中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎、中川一郎の4氏が争い、中曽根氏が予備選で党員票をおさえた。河本氏らは本選を辞退し、中曽根氏が当選した。
現職一度だけ敗退
総裁選は現職が有利とされてきた。結党以来、政権与党の地位をほぼ独占し、総裁はつまり首相を意味した。人事を握り、実績も訴えやすい。現職が敗れた例は一度のみだ。
78年11月の総裁選、首相の福田赳夫氏は初の党員投票の予備選で大平正芳氏に大差をつけられ「天の声にも変な声がたまにはある」と本選を辞退した。事前に「予備選で差がつけば2位の候補は辞退すべきだ」と語っていた。
現職は強いからこそ、勝利にこだわる。勝つ見込みがなければ、総裁選を前に出馬を見送る例もある。岸田首相を含め過去に6人いる。
現職首相だった海部俊樹氏は肝煎りの政治改革関連法案が廃案となり、党幹部に「重大な決意」を伝えたとされる。衆院解散を意図した言葉と受け取られたが、最大派閥の竹下派の支持を得られず、91年10月の総裁選を前に出馬を辞退した。
中北浩爾中央大教授(政治学)は「結果を決めるのは党内基盤と国民的な人気だ」と指摘する。「人気だけの人がなるのはリスクが高い。自民党には政権をきちんと運営できる人じゃないといけないという意識がある」とみる。
「党員票」ルールが勝敗左右
自民党総裁選は同党が衆参両院で多数を持つ現状では実質的に「次の首相」を選ぶ選挙になる。「総理・総裁」と首相と自民党総裁の地位を並べて呼ぶのが慣例だ。
党則は総裁の任期は3年と規定する。連続で3期まで務めることができる。
立候補に党所属国会議員20人の推薦が必要となる。党所属の国会議員が1人1票持つ「国会議員票」と、全国の党員・党友の投票で配分を決める「党員・党友票」の合計を競う。国会議員票と党員・党友票は同数になるよう計算する。
投票で有効投票の過半数を得れば総裁に選ばれる。どの候補も過半数に達しない場合は上位2人の決選投票になる。
決選投票は国会議員票に加えて各都道府県連に1票ずつ割り振る47票の地方票の合計数を競う。1回目の投票に比べて国会議員票の割合が高い。
総裁選は党の選挙管理委員会が総裁公選規程にしたがって実施する。党員・党友の声を取り入れようとルールは変更を繰り返してきた。
かつて決選投票は国会議員票のみだった。制度が大きく変わった背景にあるのは2012年の総裁選で国会議員票を制した安倍晋三氏の逆転だった。
党員と国会議員の意見のズレが大きく、地方組織に不満が高まった。15年の総裁選から現行の決選投票の仕組みを適用した。
「予備選」と称して党員の声を反映することもある。1976年のロッキード事件で田中角栄氏が逮捕されるなど党への逆風が強まった78年の総裁選で「党改革」を名分に初めて実施し、現職の福田氏の敗退につながった。
小泉純一郎氏が制した2001年の総裁選は、都道府県連がそれぞれ割り当てられた3票を誰に投じるかで予備選を実施した。小泉氏が大半で勝ち、2位の橋本龍太郎氏を下した。
記者の目 派閥論理なら見放される
自民党総裁選に岸田文雄首相が不出馬を決めた。党派閥の政治資金問題などで政治不信を払拭できず、14日の記者会見では「私が身を引くことでけじめをつける」と強調した。
国民の信頼をいかに回復できるか注目される。従来の総裁選のように数の力を押し出す派閥の論理で新総裁を選び、政策論議をおろそかにすれば国民から見放される。
首相が退陣表明をした14日に麻生太郎副総裁と茂木敏充幹事長が会食した。有力者同士が会合を重ねる風景は国民にどう映っただろうか。
前進もある。党の選挙管理委員会は政策論争を充実させるため、選挙期間をこれまでより長く確保する方針だ。各地で討論会を重ねる国民に開かれた総裁選で信頼回復への本気度がみたい。
(千住貞保)
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