「水柱視認、爆破成功」。ズドンという衝撃が船体の底から足に伝わると、およそ1キロ先の海面で30メートルほどの水柱が立ち上った。海中や海底に潜んで艦船を攻撃する機雷は海に囲まれた日本にとりサプライチェーン(供給網)を脅かす。機雷を処分する海上自衛隊の掃海訓練に同行した。

第2次世界大戦の激戦地である硫黄島の近海で海自が1972年から国内で唯一、機雷掃海として実際に爆発させる訓練を続ける。今年は6月17〜29日に開いた。米海軍と共同訓練し、新型護衛艦「もがみ」が初めて参加した。

機雷の歴史は古い。紀元前600年代にギリシャで初めて開発されたと伝わる。

多くの戦いで用いられてきた。海底に沈めて相手の船が上を通ったときに狙うものや、海中をただよって船が付近を通過したときに爆発するものなどがある。

第2次大戦で米軍は日本の物資補給を断つ「飢餓作戦」を実行した。1万超の機雷を国内の主要な港湾や海峡周辺に置いた。

海自の歴史は機雷の掃海から始まる。1950年に当時は海上保安庁の一部だった掃海部隊が「日本特別掃海隊」として朝鮮戦争に派遣された。掃海艇が機雷に触れて沈没し、殉職者を出したこともあった。

機雷がまかれると民間の船舶は安全だと判断されるまで通航できない。重要物資の供給網が寸断される可能性もある。ロシアによるウクライナ侵略で黒海に機雷が敷設され、穀物の輸送が止まった。

除去する方法は大きく2つある。一つはまとめて付近の機雷を掃海する方法だ。

今回、報道陣に公開された訓練はこの方法をとった。掃海艦や掃海艇は機雷が反応しないように木や特殊な強化プラスチックで建造される。その船のうしろから「掃海具」という機材が伸びる。

この機材が音や磁気を出し実際に艦船が通ったように機雷を錯覚させ爆発させた。

もう一つは特定の機雷のみを取り除く方法だ。今回は水中無人機を使った。艦上から遠隔操作しカメラで機雷を見つけ、爆破処理する。

ワイヤでつながれて水中を浮遊する機雷を無人機に搭載するカッターで切り、浮いてきたところを処理できる。

水中無人機は機雷処分以外の目的で用いることがある。2023年に鹿児島県屋久島沖で墜落した米軍輸送機オスプレイの捜索で投入した。

中国は近年、東シナ海や南シナ海で海洋進出を強める。機雷でシーレーン(海上交通路)を封鎖されないよう掃海能力を高める必要がある。

第1掃海隊の野間俊英司令は「日本の経済は海上交通に依存している。いまのわれわれの役割は訓練を通じて精強な部隊をつくり、抑止力を高めることだ」と指摘する。

シーレーンを守る以外にも掃海部隊の役割は増す。一例が上陸作戦の支援だ。

陸上自衛隊で離島防衛を担当する水陸機動団は19年から機雷処分の訓練に加わってきた。今回も海自の掃海艦や掃海艇に乗船して訓練した。

離島を他国軍などに奪われると水機団が上陸して奪還する。その際に海岸の浅いところにある機雷や障害物を取り除くために、掃海部隊との協力が必須となる。

自衛隊は掃海だけでなく、防衛のために機雷を敷設する能力を持つ。他国軍が離島などに近づけないように海岸線などへ置くのを想定しているとみられる。

中国の安全保障に詳しい慶応義塾大学の安田淳教授は「有事で中国が設置するであろう機雷を掃海するのと同時に、日本も近寄らせないために敷設する能力を高め、抑止力を強めないといけない」と述べる。

海自を巡り7月に安保に関わる「特定秘密」の不適切な取り扱いなど、不祥事が相次いで発覚した。有事に備えて日本の守りを固めるには組織のあり方そのものを見直して改革に取り組む必要がある。

米が大規模演習を初実施 摺鉢山に同盟の証し

日米あわせて3万人ほどが戦死した硫黄島は戦火の激しさを物語る遺構が残る。日本はパリ五輪の馬術で92年ぶりにメダルを獲得した。92年前に金メダルを取った「バロン西」こと西竹一氏も硫黄島で戦死した。

一般の人は住んでいない。自衛隊の航空基地が置かれている。足を踏み入れることができるのは隊員や元島民をはじめとする一部の人のみだ。

栗林忠道中将が率いる旧日本軍は島のあちこちに地下壕(ごう)を掘り、ゲリラ戦を展開した。米軍はいたるところにある壕の内部に水とガソリンを混ぜた液体を流し込み、日本兵が出てきたところを燃やした。

島の北部にその一つである「海軍医務科壕」がある。総延長110メートルほどあり、負傷兵らを収容した。内部には今も兵士たちが使っていたとみられるやかんや瓶、そして「貴重品箱」と書かれた箱などがある。

硫黄島の壕は奥まで行くほど、暑さはひどくなる。立ち入れる最深部では60度近い熱風が体を直撃した。負傷兵がとても療養できる環境ではない。

暑さの理由は硫黄島が活火山で地熱がこもるからだ。島は今も火山活動が活発で、いたるところから火山性のガスが噴出し、島の名の通り二酸化硫黄の臭いが立ちこめる。

海岸から1キロほど離れた海上でも硫黄の臭いは漂ってくる。水源も十分ではなく兵士らは水不足で悩まされた。

日米の「ドッグタグツリー」

島の最南端にある摺鉢山。占領した米兵が星条旗を立てる写真が有名なこの山頂に、最近新しい記念碑「ドッグタグツリー」ができた。自衛隊と米兵が持ち寄った軍の認識票、ドッグタグを集めたものだ。

6月前半、硫黄島で初めて米軍がインド太平洋地域で最大規模の演習「バリアント・シールド」を実施した。自衛隊が初参加し、滑走路の復旧訓練にあたった。その記念に日米双方がつくった。同盟の証しといえる。

激戦から79年たち、日米は協力して地域の安定を担う。硫黄島はその最前線にある。

記者の目 抑止力向上に不可欠な島

硫黄島と聞いて映画「硫黄島からの手紙」や「父親たちの星条旗」を思い浮かべる人は多いのではないだろうか。第2次世界大戦の激戦地というイメージは色濃く残る。

現に島内にはまだ1万柱ほどの遺骨が埋まっている。記者が海上自衛隊の掃海艇に乗船する前には肩に塩を振りかけてもらい身を清める場面もあった。

なぜまだ自衛隊が硫黄島に施設を持つのか。遠く離れた島だからこそ、本土周辺では実施しにくい訓練をしやすい。代表例が掃海訓練だ。自衛隊幹部によると、硫黄島で電磁波の実験を実施することもある。本土では電波干渉が起き民間の通信に影響を与える可能性がある。

日米の共同訓練の場になり、新しい戦い方に対応し抑止力を高めるために必要な硫黄島は過去の地ではない。(永富新之丞)

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