ザトウクジラ(画像は南極半島の沿岸海域で撮影)が気泡の円を作って獲物を囲い込む行動は、かなり以前から観察されてきた。(PHOTOGRAPH BY WHALE RESEARCH SOLUTIONS)

チンパンジーは棒を使ってシロアリを釣り、ラッコは石で貝を割り、イルカはカイメンで口先を保護しながら海底で餌を探す。新たな研究により、人間以外で道具を使うこうした種の仲間に、ザトウクジラがあらためて加えられることになった。しかも彼らは道具を使うだけでなく、周囲の環境から道具を作り出しているという。2024年8月21日付けで学術誌「Proceedings of the Royal Society Open Science」に論文が掲載された。

世界各地のザトウクジラ(Megaptera novaeangliae)は、オキアミ、ニシン、サケの稚魚などの特定の獲物を捕らえる際、気泡でできたバブルネットを使用する。ときにはグループで、またときには単独で、彼らは獲物の下方に潜り、噴気孔から気泡を放出しながら円を描くように泳ぎ、上昇する気泡のカーテンを作り出す。

このカーテンが視覚的な障壁となって、中にいる獲物は、もう逃げ場はないと錯覚する。獲物を確実に閉じ込めたところで、クジラは口を大きく開けてバブルネットに突進し、餌を飲み込む。こうした摂餌行動は数十年前から確認されていたものの、その正確なメカニズムを研究するのは簡単ではなく、長い間謎だった。

ザトウクジラが餌を食べる様子は、「まるでたくさんの気泡がめちゃくちゃに混ざり合っているかのようで、何らかの構造があるようには見えないのです」と語るのは、米「アラスカ・ホエール財団」の代表で、論文の筆頭著者である海洋生態学者のアンドリュー・サボ氏だ。

ただし、ドローンと水中カメラを使えば、そうした見方は一変すると氏は語る。

動物における道具の使用は定義が難しい場合もあるが、最近の傾向としては「なににも取り付けられていない適切かつ効果的に動かせる物体を使って、ほかの物体の形状、位置、状態を効率的に変えること」と考える科学者が多い。バブルネットが道具として使われているという指摘は以前からあったものの、「今回の論文はその仮説を強化するもの」だと、米ジョージタウン大学の海洋哺乳類生物学者ジャネット・マン氏は述べている。なお、氏は今回の研究には関与していない。

ザトウクジラは、ときにはチームで協力して、魚を混乱させる気泡のカーテンを使って獲物をとる。(PHOTOGRAPH BY BRIAN SKERRY)

「非常に細かく制御しています」

こうした行動をより詳しく観察するために、サボ氏のチームは、米アラスカ南東部沖において、長さ約6メートルのポールを使って、特殊なタグをクジラに取り付けた。このタグは、4Kビデオカメラ、水中聴音器、3次元での動きや水温、深度を測定するセンサーを備えており、最長24時間データを収集した後、自動でクジラから外れるようになっている。

タグのデータと、ドローンで撮影された空からの映像とを組み合わせて、科学者らは、単独行動のクジラがバブルネットを作るタイミングと、その構造および大きさを正確に測定した。

その結果、気泡を放出する速度と間隔をザトウクジラが調整し、より効率的に獲物を捕らえようとしていることが明らかになったと論文にはある。気泡の円を調整すると、クジラが一口で捕らえられる獲物は、平均で7倍に増えるという。

ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるサボ氏によると、クジラは突進する回数を減らしてエネルギーを節約しているのだという。ザトウクジラにとって効率は非常に重要だ。なぜなら、彼らは何千キロもの距離を移動し、また一年を通して生き延びるために、夏から秋にかけてアラスカで十分な食料を確保する必要があるからだ。

「クジラはバブルネットを非常に細かく制御しています」と、論文の共著者で、米ハワイ大学マノア校で海洋哺乳類研究プログラムを指揮するラーズ・ベイダー氏は言う。「彼らはネットが小さくなるにつれて泡の放出頻度を上げ、獲物が逃げ出せる網目のサイズを小さくしています。本当にすごいです」

バブルネットを道具として使うザトウクジラの能力は、イルカをはじめとするその他の海洋哺乳類の陰に隠れがちな、クジラの認識力の高さと複雑さを物語っていると、研究チームは考えている。「彼らは驚くべき動物であり、驚くべきことをしているのです」とサボ氏は言う。

実は一般的ではないバブルネット、なぜ?

興味深いことに、クジラはバブルネットをずっと使っているわけではない。アラスカでは、バブルネットで餌をとる個体は全体の5〜10%程度にとどまっている。「バブルネットを使うというのは、一般的な行動ではありません」とベイダー氏は言う。「これはすべての群れに当てはまります」

チームがタグを設置した3日間で、バブルネットでの摂餌に参加したことが確認されたクジラは70〜80頭にのぼった。しかし、それからわずか1週間後には、同じ個体がすでにこの手法を使わなくなっていた。これはなぜなのだろうか?

ザトウクジラがいつ、どこで気泡を使うのかは、獲物の密度と関係している可能性がある。「バブルネットを展開するには時間がかかります。ネットを使う必要がないほど獲物が密集している場合、使わない方がむしろうまくいくこともあるでしょう」とサボ氏は言う。

一方で、獲物の密度がそれほど高くない場合には、バブルネットを使うと、本来であれば手に入らなかった資源を利用できるようになる。「ネットを使えば、利益にならなかったものを餌という利益に変えられるのです」

研究により、ザトウクジラは、獲物を閉じ込める気泡の円のサイズや形状を制御できることがわかった(南極のエバンス岬で撮影)。(PHOTOGRAPH BY YVA MOMATIUK AND JOHN EASTCOTT / MINDEN PICTURES)

ほかの大型クジラ類より状態がよい理由

こうした行動は印象的ではあるものの、特に驚くべきことではない。そう語るのは、米アラスカ大学サウスイースト校の生物学者で、1979年からザトウクジラの研究を続けているジャン・ストレイリー名誉教授だ。

ザトウクジラは、獲物の位置や環境条件、密度に応じて、バブルネットを展開する場所を変えることが知られている。ストレイリー氏はこれまでに、若いクジラが、母親や仲間から新しい技術を学んでいるように見える場面を目撃してきた。なお、氏は今回の研究には関与していない。

「ザトウクジラは周囲の環境や、そこでどのような物理的特性が働くのかを知ることに長けています」と氏は言う。「彼らは自分たちの世界に関して、優れた知性を持っているのです」

たとえば、米アラスカ州グレイシャーベイ国立公園近くの海域では、ザトウクジラはグループで協調して餌をとるものの、バブルネットは使わない。彼らはむしろ、潮の満ち引きや海流を利用して魚を囲い込む。

1980年代、米北東部ニューイングランド地方のザトウクジラは、「ロブテール・フィーディング」と呼ばれる技術を発達させた。これは、尾で水面を叩いてから、泡を利用して餌をとる方法だ。この行動は、クジラが餌をニシンからイカナゴに変更した際に始まり、社会的学習を通じて広まっていったと考えられている。

摂餌戦略を変更したり、通常は手に入らない獲物にアクセスするために道具を使ったりできるザトウクジラの能力こそが、捕鯨時代以降、彼らがほかの大型クジラ類よりもはるかに良好な状態を保ってきた理由なのかもしれない。また、こうした適応力のおかげで、彼らは気候変動に順応できる可能性が高いとも考えられている。

ただしそれは、獲物が完全に姿を消してしまわなかった場合の話だ。「獲物は確実に減少しています」とサボ氏は言う。「クジラたちは、徐々に痩せつつあるのです」

文=Bethany Augliere/訳=北村京子 (ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年8月30日公開)

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