「資産運用を学校教育に」より、フキノトウの探し方を教えては?
営んでいる「古民家農泊」の敷地にフキノトウを見つけ、近所の親しい93歳のおばあちゃんに小走りで知らせる。「私も今朝気づいて採らせてもらったの。心待ちだったわ」とうれしそうに作りたての蕗味噌(ふきみそ)をくださった。一緒に採って、私からもたくさん差し上げた。すると1時間後、再びおばあちゃんが「さっきのでまた作ったから、お友達に」。炊きたてご飯にのせると極上にうまい。 他の近所のお母さんたちもうれしそうに野菜をくださる。花を植えてくれて、手入れの仕方も「そんなのも知らないの?」と笑いながら教えてくれる。おじいちゃんたちは農業の現役バリバリで、60代と思いきや年齢を聞いて驚く。70代後半とか80代ばかり。ローカルは人が少ない分、やることも役割もいっぱい。故に、何でも知っていて、何でもできる。だから若い。私の体はいただいた野菜で育まれ、知恵もご年配者から授けられたもの。高齢化を問題視する風潮には違和感を覚える。 昨今、民間の二つの政策提言が気になった。一つは令和国民会議(令和臨調)。2100年の人口を今の半分の6千万人と想定し、人口減を前提に、所有から利用へ、専業・分業からマルチタスクへ、標準化から多様性へ、経済至上主義から自然と文化の尊重へ、とパラダイムシフトを提言した。共感でき、感動した。 もう一つは人口戦略会議。2100年の人口を8千万人で安定させ、成長力を確保して「強靱(きょうじん)化」するという。勇ましい言葉をちりばめても、いつもの「絵に描いた餅」の精神論に思えた。 前者は包容力があり、ご年配者も役割を担う朗らかな未来を感じた。一方、後者はギスギスして、「役立たずは切り捨て」な感じがするのは私だけ? 万博やリニアなどへの予算をいつまで続ける? 失われた30年。成長への幻想で無駄に使った財源を暮らしに回してたらどんなすてきな国になっただろう。そんなことを思っていた折、「出生数、過去最少を更新」とのニュースが。それでも成長を諦めずに、火の玉となって頑張りますか? <高坂勝(こうさかまさる) 脱「経済成長」、環境、幸せの融合をローカルから実践。53歳> ※次回は4月27日
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