商品が完売した「洋装のキャビン」の店内で、54年間の歩みを振り返る八木和子さん(右)と長女の柳原香保里さん=東京都足立区で2024年5月31日、磯崎由美撮影
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 東京都足立区のある商店街で、最後の一軒となっていた婦人洋品店が54年の歴史に幕を下ろした。店主が先立ち、共に切り盛りしてきた妻はささやかな閉店セールを企画した。すると思いもかけず初日から店は満員に。それは孫からのサプライズプレゼントだった。

 東武伊勢崎線・五反野駅の東に約80店舗が軒を連ねる「五反野ふれあい通り商店街」。駅から3分ほど歩くと「洋装のCABIN(キャビン)」の文字が入った波打つようなテントが見える。最終営業日の5月31日、八木和子さん(89)は「まさか全部売れるなんて」と空っぽの商品棚を見やった。

 愛媛県今治市で終戦を迎えた和子さんは10歳で父を亡くし、洋裁を学んだ。同郷で先に上京していた3歳上の昇さんと結婚したのは23歳のとき。11年後の1970年、昇さんは「独立して婦人服の店を出したい」との夢をかなえた。新しい人生の船出にふさわしく、船室を意味する「キャビン」を屋号にした。

 折しも大阪万博の年。万博に行くためおしゃれをする女性も多かった。流行のワンピースやミニスカート、パンタロンが飛ぶように売れ、高めのメーカー品も扱い始めた。売った後でも裾上げを求められれば、和子さんは快くミシンを踏んだ。

1970年6月、開店当時の「洋装のキャビン」。白いカーディガンを着ているのが店主の八木昇さん(後列左)=八木和子さん提供
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 「市場みたいにお店が並んで、夕方の通りは買い物客でいっぱい。うちにはお勤め帰りの女性も寄ってくださるので、夜9時まで店を開けていました」

 そんな商店街に時代の波が押し寄せる。2駅先の北千住に駅ビルが建つと量販店が進出。大手スーパーは床面積を広げた。商店街の店舗数はピーク時から半減し、駅かいわいに十数軒あった婦人洋品店は気づくとキャビンだけに。それでも夫婦は常連客を思い浮かべては、それぞれに似合う服を仕入れた。

 昨年末、昇さんが倒れた。和子さんは介助で腰を痛めながら一人で営業を続けたが、シャッターを上げられなくなり、今年2月に一旦、営業を終えた。そして5月初め、夫を見送った。享年91。町会役員の重鎮として祭りや盆踊りにも力を注いだ昇さんの葬儀には、街の人が次々と焼香に訪れた。

 「最後にちゃんとごあいさつしたい」。和子さんは閉店セールを提案した。娘たちは体調を心配したが、母の決意は固く、5月27日から5日間、在庫の約250着を半額で売ることにした。

亡くなった「洋装のキャビン」店主の八木昇さん(右)と、チラシを作った孫の柳原初香さん。昇さんは地元の祭りでも運営に尽力した=2019年9月撮影、初香さん提供
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 常連客と向き合うささやかな店じまいを想像していた和子さんは驚いた。初日だけで8割の商品が売れた。しかも、初めて来る顔も多かった。

 「これがポストに入っていたから」。客が見せてくれたチラシに、また驚いた。

 <ぜひ店主に会いに来てください!!>

 <どうかこれからも、五反野に洋装のキャビンがあったことを忘れずにいて頂けますと幸甚です>

 チラシは孫の柳原初香(もとか)さん(35)が作ったものだった。感謝の言葉や手書きの地図、イラストも入っていた。祖母には内緒で、高齢者が住んでいそうな近隣の約80軒にポスティングしていたのだ。

 初香さんは幼い頃から地域の人を大事にする祖父母の姿を見てきた。「施設に入った祖父は最期まで『店に帰るぞ』と言っていました。そんな大事な店がこのまま消えてしまうことが悲しかった」

 そしてチラシは祖母のためでもあった。「夫と店を一度に失った祖母に、街の人の元気を分けていただきたかったんです」

孫の柳原初香さんが作成した「洋装のキャビン」閉店のチラシ
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 セール中は初香さんの母で長女の柳原香保里(かおり)さん(61)も駆けつけ、母娘二人で店に立った。「キャビンの服は物がいいから、まだ着てるのよ」。常連客のそんな言葉が和子さんは何よりうれしかった。

 最終日の夕方。香保里さんがシャッターを下ろす手に、腰の悪い和子さんはそっと手を添えた。「これで終わった。やりきった」。寂しさや安堵(あんど)がこみ上げ、涙があふれた。

 娘たちの誘いを断り、閉店後も五反野で暮らすと決めた。次の船出は一人だけれど、街の人たちがいる。

 閉店の翌朝も、ふれあい通りにはシャッターの前をほうきで掃く和子さんの姿があった。【磯崎由美】

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