「リストラにエネルギーの8割を注ぐ」。1999年3月、辻井昭雄氏は社長内定の発表を受けて臨んだ記者会見でこう発言した。
当時の近畿日本鉄道(現近鉄グループホールディングス)はバブル経済崩壊後の長引く経済停滞で業績が悪化。辻井氏は人員削減や不採算事業の撤退、不動産会社の再編に追われた。経営改革を断行したからこそ超高層複合ビル「あべのハルカス」建設や観光特急「しまかぜ」運行など、創業100周年を迎えた2010年以降の攻勢がある。
座右の銘は「疾風に勁草(けいそう)を知る」。強い風が吹いて初めて強い草が見分けられるように、試練に直面した時に人間の本当の強さや価値が分かるという意味だ。辻井氏は創業以来の拡大志向を転換し、沿線を中心に経営資源の集中に取り組んだ。02年3月期は上場以来初の無配を余儀なくされたが、04年3月期に復配を果たした。
厳しいリストラのさなかも電車を止めるストライキは行われなかった。40年近く労務畑を歩んできた辻井氏だからこそ乗り越えられたともいえる。秘書として仕えた林信取締役専務執行役員は「ひとことで表現するなら『情の人』だった」と話す。労使交渉では自ら組合関係者と会い、膝をつき合わせて意思疎通を図った。「厳しい経営状況でも表情に出さず、社員とのコミュニケーションを重視した」(林氏)
最初から人付き合いが得意だったわけではない。入社後に希望の部署を聞かれ、「運輸の現業以外だったらどこでも」と答えたほどだ。だが辞令は運輸の現場。中には気難しい仲間もいたが、ユング心理学などの本から人間関係を学び、相手の懐に飛び込んで本音で話せるようになると物事が円滑に進み始めた。
労務部長だった47歳の時、社内活動の一環として少林寺拳法部を立ち上げた。若い社員に交じって練習に励み、3年で黒帯を取得。大学時代に経験があった小林哲也氏(現取締役相談役)も勧誘し、一緒に汗を流した。辻井氏の2代後に社長に就任した小林氏は「人に対し常に配慮を欠かさない一方、何事にもぶれない強い信念をお持ちの方であった」と振り返る。
=6月4日没、91歳
(編集委員 松田拓也)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。